日記 - 2002年1月

2002年1月31日 (木) - 卒業試験 (4/6)

 生産管理、英語、OSの試験。手応えは良い感じ。それにしても、生産管理の試験は持込可ということなんで、授業中に渡されたプリント、コレ重要。でも家に忘れてきてしまった。友人のをコピーして事無きを得たが、ちょこっと鬱。実は、月曜に受けた独語もプリントが重要な科目。にも関わらずプリントを家に忘れてしまっていた。ということもあったので、さすがに学習しろと。お前、馬鹿かと。お前、いつもは忘れ物してないだろと。

 日課通りデジモンタイピングのランキングを見に行く私・Mhasac、華の20歳。せりあ@もこもこ氏を蹴落として3位に輝いているYuichi&Akira氏が恐い。一体君、何冠王なのかと小一時間程問い詰めたい。つーか、"Yuichi&Akira"という名前からして、明らかに2人で頂点目指してますよって感じがする。それはOKなのですか、委員会のお偉いさん。



2002年1月30日 (水) - 卒業試験 (3/6)

 最近の日記、“卒業試験”というタイトルを付けておきながら、それに関することをあまり書いてないような気がする。ま、いいか。因みに、今日のテストの結果はなんとかなりそうである。

 ノートPCを学校に持っていった。デジモンタイピングとは何かを説くためだ。しかし、一昨日「ちょっと見てみたい気もする」と言っていたG藤君は今日「新しくゲームやり始めたから帰るわ」だそうだ。ちょっと悲しい。しかし、プレ卒生とlock氏には公開した。プレ卒生4人の内、3人はテストプレイした。その結果約1.5名は嵌ったように見えた。誰もプレイしてない時、研究室の一角に置かれた私のノートPCは、まるで店頭デモみたいだった。

 今回、私はテンキー付きキーボードでデジヴァイス電卓のコーナーにチャレンジしてみた。が、いつもの1.5〜2倍の時間がかかってしまった。やってらんない。私にとってテンキーとは、片手で数字を打ちたいときにしか使わない代物になってしまったようだ。



2002年1月29日 (火) - 卒業試験 (2/6)

 独陽の試験を余裕で流し、昨日のように研究室でだらだらまた〜りすることなく帰宅。途中、S台駅前のツタヤでビデオをレンタル。まだ観てなかった守護月天のOVA第7〜8巻、第1話だけを観ていないHAND MAID May第1巻、一応ストーリーだけは解っているデジモン映画「冒険者たちの戦い」の計4本。こんなにまとめて借りるのは初めてだ。レンタルの際、陳列棚に並んでいるビデオテープのハードケースからテープを引き抜いてカウンタに持っていくシステムになっているのだが、私はケースごと持っていってしまった。また「今度からは中のテープだけを〜」と言われた。前にも言われたことがある。学習しろ!自分。お前は鶏か!

 明日の試験科目は地学、情特、FORTRANだ。どれもちょっと不安。勉強しておきたい…と、こんな時に限って思ったりする。そう、その授業に関するプリントなどは、現在全て学校にあるのだ。何故なら、明日、このノートPCを学校に持っていき、デジモンタイピングとは何ぞやというものを説きたかったからだ。



2002年1月28日 (月) - 卒業試験 (1/6)

 今朝のS山線で聞いた話。K見で降りる某女子学生達がこんな会話を始めた。
     「T照宮の彼、何て名前だったっけ?」
     「確か…3文字で、最後が“ト”だった気がする…」
     「何だったっけかなぁ…」
彼女ら長考モード。私も気になるその答え。タカト (デジモン) か? ヤマト (デジモン) か? ケント (ウェブダイバー) か? カイト (同じくウェブダイバー) か? ユキト (CCさくら) か? カナト (マイナーな鉄コミ) か? アキト (懐かしのこどちゃ / ナデシコ) か? などとヲタな連想は留まることを知らない。
     「あぁ…もういいや!」
え !? そんなぁ…。気になるよあんた…。問題解決してくれよ。
     「あ!カズトだ!」
     「(一同) あぁーっ!そうか!」
解って良かった。

 今日の試験は独語と信号処理とCisco。昨日の公約通り、学校に来てから初めて試験勉強始めた感じ。でも結果は大丈夫。無問題。午後は本当にまた〜り。早く帰っても良かったのだが、プレ卒生は普通にプレ卒研やってるから、その間は一応居る。ただ居るだけ。プレ卒生が帰った後は、G藤のYahoo将棋を見てたり、とにかくまた〜り。無駄な時間をたっぷり過ごしました。そんな暇があるならlock氏に貰ったアニメを消化してみたり、まだ観てない守護月天のOVAを借りて観たりすりゃええんちゃうかと思ったのだが、ど〜もこのまた〜りの虜になってまったらすぃ〜ので、今日は無理。とにかく無理。



2002年1月27日 (日) - 凹みを振り切るが如く

 新聞配達。玄関の扉を開ける。雪。初っ端から鬱だ。風、強い。天はイタイケな我を鬱状態にせしめて何が楽しいのだろうか。鼻が痒い。しかし両手にはめた軍手は雪のため濡れている。鼻水、出る。しかし鼻をかむティシューは雪のため湿っている。暴風波浪警報だと? はぅ〜。

 帰宅後、某BBSを覗いてみる。なんじゃこりゃ。表示がひっくり返っとる。Htmlソースを見たら、スタイルシートの上下反転フィルタがかけられていた。無視しても良かったのだが、何故か無視出来ない気分だった。よって、タグを閉じてあげたりする。そんなことをしてると、6時半からのウェブダイバーの録画が始まる。嗚呼、リアルタイムで見られなかった…。

 そんな気分を晴らそうと、午前中はアニメを見た。見たアニメは実質2時間だったが、なんだかんだで午前中全部潰れた。午後は何となくJavaScriptな気分。思い立ったが吉日生活。その内容は、別に公表するほどのものじゃないんで…。とか言いつつ、ただアップするのが面倒だったりする。とにかく今日はやる気ナッシング。明日から卒業試験? はぁ、知ったこっちゃねぇ。科目は何? 独陰と信号処理とCiscoか。別に勉強するまでもねぇ。はぁ。(ハァハァではない)



2002年1月26日 (土) - 凹みます

 凹んだ。16時に寝、19時に起きたら凹んだ。私がこの世で最も凹むことが起きていた。私がこの世で最も凹むこと、それはビデオの録画予約に失敗することだ。鬱だ。もうどうしようもない。これで明日の日曜も凹みっぱなし決定だ。はぁ。(ハァハァではない)

 一体何が起こったかと言うと、16時頃、私を睡魔が襲った。17時30分からのRAVE、18時30分からのカスミンの予約をし、布団を敷いて寝た。そう、予約したつもりになっていた。そしてママさんバレーに赴く母に起こされたのが19時。夕食を取り、楽しみに思っていたやつをいざ見ようかと思って、RAVEを撮ったビデオデッキに目をやる…と、留守録コールボタン (このボタンを押すと撮り始めまで巻戻される) が消灯。ちゃんと録画されていたら、このボタンが緑色に発光している筈である。ここで慌ててももはやどうしようもない。とりあえずそのビデオを見たら、バッチリ失敗してました。因みに、カスミンの方は無事に取れていました。泣きっ面に蜂でなかった分だけ神に感謝すべきなのでしょうか。

 更に時を遡り、録画予約のシーン。その時、私がとった手順はこれ。

  1. ビデオデッキAに入っていたビデオテープを取り出す (デッキAの電源が入る)
  2. デッキAにカスミンの録画予約
  3. カスミン用ビデオテープを挿入
  4. 頭出ししてデッキAの電源を切る (録画予約待機モードになる)
  5. ビデオデッキBにRAVE用ビデオテープを挿入 (デッキBの電源が入る)
  6. 頭出ししてデッキBの電源を切る (録画予約待機モードになる筈)
解りましたか。“RAVEの予約”という手順が抜けています。嗚呼、思い出しただけで泣けてくる。お前、馬鹿かと。お前、ビデオの録画予約のベテランだろと。

 更に私を凹ませる要素が2つあります。一つは、RAVEが撮り溜めアニメだったこと。何でこの失敗を、撮っては消しアニメでやらなかったのかということ。もう一つは、RAVEのテープを貸した後輩・Soに、今日のためにわりと急いで消化して返してもらったこと。嗚呼、誰か私の悲しみを癒して。

 こんなことになるんだったら、あの時 (16時)、顔中に洗濯バサミを挟んだりしてでも寝るんじゃなかった。



2002年1月25日 (金) - 回想

 本日を以って、この学校5年間の授業が一通り終了したことになります。同研究室生のG藤君はかなり感慨深く感じていたようです。かく言う私は、最後の授業があまりにもまた〜りなものだったので、どうも…。“記念すべき!”って感じの授業じゃなかったので…。

 放課後、プレ卒生SoとS氣に指数乱数生成プログラムに関する質問と電磁気の問題を訊かれました。前者に関しては、殆んど既に忘れていました。しかし後者に関しては、私が半年ほど前まで受験生だったからでしょうか、比較的簡単な数式を解くやつだったので大丈夫でした。アンペールマクスウェルの方程式がどーたのこーだのって感じで、とにかくベクトルの外積と内積が解って根性があるならなんとかなる問題でした。

 その場に一緒にいたlockともあーだこーだしたのですが、一通りそっちの問題が解決してからの2人の会話が色々と懐かしかった。ま、その内容はあまり憶えていないのだが…。

 そんなこんなで帰る時間も近付き、私は学校を後にした。しかし学校を出てから、研究室の私のPCの電源を点けっ放しにしていたことに気付いた。A子駅まで親が迎えに来る。いろいろ悩んだ末、学校まで戻ることに…。さすがに明日・明後日まで点けっ放しはいかんだろということで。校舎の外から2階の研究室に声を掛けたが、中に居るであろうプレ卒生の耳には届かなかった。仕方なく土足で部屋まで行くと、彼はヘッドホンを付けて色々やっていた。そんな一日だった。



2002年1月24日 (木) - カルチャーショック

 プレ卒生Soに貸したRAVEが返ってきた。約6時間分のそれを昨晩19時頃から消化したらしい。ご苦労様だ。話によると、彼の住んでいる地域ではRAVEを放映していないらしい。彼はY形、私はM城。同じ学校の同じ研究室に居るにも関わらず、放映されている番組が違うなんて、ちょっぴりカルチャーショック。Animageによると、あっちでは、こっちじゃやってないFF:U、少年アシベ、テニスの王子様、ヒカルの碁などがやっているらしい。少年アシベはともかく、他の3つは結構話題になっているやつだ。逆にこっちでしかやってないのは、RAVE、バンパイヤンキッズ、電脳冒険記ウェブダイバー、爆転シュートベイブレード2002ってなとこか。うん。M城在中で良かった。

 例によって今朝のS台駅での乗り換え。どうしても探してしまっている。そう、あの犬夜叉を。気にしないようにしようと思えば思うほど気になってしまう。もはや変質者。残念ながら今朝は遭遇しなかった。向こうも、こっちの尋常でない眼光に感づいたのかな?



2002年1月23日 (水) - 学校臨時休業

 学校で推薦入試が行われるので、一般学生は本日お休みです。風邪気味な私は、午前中、大事を取って寝てました。ただ眠かったからという理由もあります。午後はアニメの消化とテレビガイドの消化とデジモンタイピング。気が付けば夕食でした。

 テレビガイド読んでいて、「木更津〜」という言葉が目に留まりました。“木更”が“梗”に見えて仕方ない。そこから“桔梗”が連想される。ま、犬夜叉を見た直後のテレビガイドだからかも知れないが…。

 ほのぼのレイクのCM知ってますか。「パソコン当たったわよ〜貴方!」とか言ってるアレ。私はそれを見るたびに声を大にして突っ込むのだが、何度見ても、あのご夫人が手にしているものはパソコンではなく、ディスプレイとキーボードなんだよね。ま、そこで筐体を担げとは言わないけどさ、あれでは一般人に誤った知識が…。



2002年1月22日 (火) - 今日も登下校ネタ

 昨日の日記でも述べた犬夜叉女子学生を今日も見かけた。私と彼女の位置関係はやっぱり昨日と同じ。本当に誰かの罠じゃないだろうかと思うくらいドンピシャなタイミング。私の登校時の格好は毎朝同じなので、あっちも私の存在に気付いてるかも知れない。でもストーカーに思われてたりしてたら心外だ。で、今朝のキーホルダーは、毎度の如くノーマルな犬夜叉と朔の日の犬夜叉。弥勒は付いてなかった。2人の犬夜叉の他に、もう1つ何かが付いている。まさか私の予言通り殺生丸か!と思い、視力の悪い目を凝らして見てみると、残念ながら私の読みが外れていたということが判明。かごめだった。

 鼻が出る。…とは言っても鼻自体が飛び出すわけではない。研究室内が暑い気がするのに寒気がする。喉も痛い。1月19日に押入れで寝た時から体調は崩れてきたようだが、昨日の豪雨がきっかけになり、風邪をひいてしまったようである。ティシュー (その実態はトイレから拝借したトイレットペーパー) は手放せない。

 体調不良は寝れば治るから…というわけではないが、下校中のS山線で爆睡。しかも立ったまま。立った状態でのスリープはよくあることだが、今回は結構深く寝た。普段の立ち寝が“現実4、夢6”だとすると、今回のは“現実1、夢9”だ。膝カックンは克服していたのでならなかったが、遠心力に伴って体が傾き、それを支えるため、ドアに左手を強かに打ってしまった。その衝撃と周囲の急激な視線の増大により、目が覚めた。

 ここから先は、日記アップロード寸前の更新です。私のBBSに今度はせりあ@もこもこ氏のカキコが! かなり嬉しいんですけど。quatreさん、せりあ@もこもこさん…。デジモンタイピングが私に与えた恩恵は大きい。これで電卓やるかのぉ〜氏とヴェオルブ氏が来てくれれば、デジモンタイピング重鎮の集会所状態に…。



2002年1月21日 (月) - 登下校中

 朝の電車で最近、同じ人を見かける。S台駅での乗換えで、階段を昇ろうとすると、私の目の前をその人が昇っている。丁度私の目の前に、彼女のバッグが来るような位置関係だ。何故その人を覚えているのかと言うと、その人の紺色バッグに犬夜叉のキーホルダーが付いているからだ。ノーマルな犬夜叉と、朔の日の犬夜叉の2セット。でも今朝は、更に弥勒が付いていた。多分今度は殺生丸辺りが増えるのではないだろうかと予想しているのだが…。え、その女学生の顔ですか? キーホルダーしか見てないから解りません。ブサイクかデブかチビか萎えか解りません。勿論、S水先生が話していた“恋愛感情”は生まれる筈もございません。

 1月21日。普通なら寒さも極まりつつある今日この頃。しかし今日は気温が十数度にまで達し、その上豪雨。梅雨や台風のようだった。風も強かったので、傘なんぞ殆んど意味無い。腰から下は濡れ濡れ、お陰でジーパンが重いし肌にくっ付く。靴の中は泥水で満たされ、鞄は表面が濡れていてテッカテカ。明朝の新聞配達もこんな風だろうなと思うと非常に鬱だ。



2002年1月20日 (日) - 囲碁

 私はK股先生の輪講で囲碁をやっているのだが、今日、愛子のK股先生宅で小中学生との囲碁会があった。定義山の油揚げを買いに行く親らの車に乗せてもらい、愛子で降ろしてもらった。さて、先生の家だが、地図が渡されていた。だが、かなりアバウト。住所も知っていた、だが、各家々に住所を示すプレートなどは無かったので、よくは解らん。目ぼしい家を見つけたが、表札が無かったので躊躇した。意を決してピンポンする。と、玄関前に積まれたダンボールに目が止まった。そこには宅急便のラベルが貼ってあり、しっかりと“K股A雄”とあった。家を間違えてなくて良かった。

 小中学生との対戦。…強い。そして打つのが速い。流石に計5時間程度しか打ったことがない私達にゃ荷が重過ぎ。やや新鮮だったのは、喧しいことだ。煩い、五月蝿い、ウルサイ。先生の言うことはなかなか聞かないし、小学校の先生って大変だなぁとつくづく思ったりした。碁会の後のお茶会 (とは言ってもチラシ寿司なんてものが出たりしたが) でも落ち着きが無い。食欲の塊と言うか、好き嫌いの塊と言うか…。ま、かく言う私も、イクラと生姜が駄目だったので大きな口は叩けないが…。

 そのお茶会の後に、我々だけのスタンダードなお茶会があった。T茂先生のお子が幼年ながら凄まじい感性で碁を打てたりすることが判明したり、D脳研究会の“ハンバーガー300個購入”や“うまい棒2000本購入”といった懐かしい話題もあったりだった。そしてほどなく解散。

 親をN町駅に待機させる電話をして電車に乗る。S台駅での乗換え時間は15分。そう言えば買う本があるんだった…ということでEビルへ。が、混雑しているペデストリアンデッキを通ってビルに入った頃には既に5分が経過。復路にも5分かかるとして、残りの5分で2階から8階に上がり、本を買い、8階から2階に降りてくる自信は無い。私は本を買うのを諦め、申し訳程度にトイレを利用させてもらって駅に戻りましたとさ。トイレは何故か3階のトイレを拝借しましたとさ。



2002年1月19日 (土) - 暇っぽい

 朝からアニメ。そしてテレビガイド読破。一応このようにやることはあるのだが、どうもまた〜り。充実感があまり無い。そんなこんなで一日が過ぎてしまった。卒研やれよお前って感じ。夕方、眠くなったので、布団を敷かずに、押し入れに入ったままで畳んである状態の布団の上に丸くなって寝たら、頭に血が上ったようになって頭痛がするし、それに寒すぎるし、もうなんとも…。

 このようにまた〜りな今日、久し振りにデジモンタイピングをやった。部屋が寒いので、指が動かない。凍り付いてしまっている。しかも、久し振りのデジモンタイピングなので、デジ文字テストのコーナーで頭が回らず、翻訳に時間がかかる。もう慣れてきたとは言え、デジヴァイス電卓のコーナーをテンキー無しのキーボードでやるのは辛い。そんなわけで、1位のquatre氏にはまだまだ追いつけない。はぁ…。



2002年1月18日 (金) - AirH"128Kbps

 放課後、卒研しないでG藤君と将棋をしていたら、よかいち氏からのタレコミが。何でも、AirH"で128Kbpsのサービスが始まるだとか。でも、色々とオプションを買う必要があったりするらしい。私は、AirH"の64Kbpsで月当り25時間のコースから、AirH"の32Kbpsで使い放題のコースに移った人間なのだが、大して気になるほどネットが重くなった気にならなかった。もう32Kbpsの速さに慣れたし、このままでいいやと思いました。

 昨日の日記を読み返してみたら、色々と修正したい所があったので書きます。“メドレーと言っても8分近い曲”とありますが、8分じゃなくて11分半でした。“宍戸留美の歌声が聞こえた気がする”とありますが、“宍戸留美も歌っているようだった”の方が解りやすいですかね。えみゅらんぷの説明で“りぼんに連載されている少女漫画”とありますが、“りぼんに連載されていた少女漫画”に改めさせて下さい。今朝、えみゅらんぷ第1巻と第2巻を読んだら普通に時間が無くなったので、撮り溜まったアニメの消化には至れませんでした。



2002年1月17日 (木) - 一般人には縁遠いネタでスマンヌ

 一昨日買ったデジモンテイマーズ挿入歌CD「One Vision」を今日聴いた。One Vision は勿論とても良かったが、CP曲の Into Summer the DOORS も良かった。「この曲どこかで聴いたことがあったなぁ」と思ったら、3ヶ月前に発売されたデジモンアドベンチャー02のドラマCD「夏への扉」に収録された曲のメドレー版だった。メドレーと言っても8分近い曲に仕上がっており、ボリューム万点。歌っているのは、本宮大輔 (木内レイコ)、ウォレス (宮原永海)、太刀川ミミ (前田愛)、チビモン (野田順子)、グミモン (多田葵) となっていたが、私の耳には、ドラマCDの時に少女デジモンの役で歌っていた宍戸留美の歌声が聞こえた気がする。One Vision も良ければそのCPも良い…となりゃ買うっきゃないでしょ。と、しこたまPUSHしてみましたが、解らぬ人には全く解らぬ話。

 このCDを買った時、えみゅらんぷ第2巻も買いました。これもまたデープな話だな。ちょっと説明すると、“えみゅらんぷ”ってのは月間少女漫画誌・りぼんに連載されている少女漫画で、作者は藤田まぐろ氏。私は藤田まぐろ氏の少女漫画を全部持っているオタッキーなおっさんというわけだ。で、えみゅらんぷ第2巻だが、これはまだ読んでいない。やっぱり第1巻から通して読むのが良いでしょう。明日は金曜なので新聞配達のバイトは休み。いつも通り3時半に起きて、コレ読んで、撮り溜まったアニメを見て…。金曜の朝は、学校の無い土日並に好きだったりする。



2002年1月16日 (水) - 痴呆か?

 朝、「今日の日記はコレだな」と閃くことがある。しかし、いつも日記を書く時間になると忘れている。その辺をすぐ思い出せるように訓練しとけば痴呆にならずに済みそうだが、こんな私だから、還暦過ぎる頃、痴呆症になっていそうだ。ま、そんな未来の話なんて解らないけどね。で、これ以降は今朝日記に書こうと決意したネタ。朝にその日の日記のネタを思いつくのもどうかと思うが。

 新聞配達から帰ってきて、ネットに繋ぐと、デジモンタイピングでお馴染み (なのは私だけだが) のquatre氏からの書き込みが再び。どうやら1位の座を取られたらしい。そんなことよりも、カキコに目を通していたその時の私は「本当にquatre氏本人のカキコなのか?」とか、「真面目にレス付けてたら、その内クラスの誰かさんに嘲笑われるのでは…」とか考えていた。疑心暗鬼だ。そんなことを言って、本当に本人のカキコだったらとんでもなく失礼である。だから私は、私のBBSに“quatre”という名で書き込んだ人物を信じてみることにする。つまり、疑うのをやめることにする。そうしないと、上っ面だけの会話になってしまって、全然面白くないしね。



2002年1月15日 (火) - 日記として反則

 今日は特に何も無かった。7〜8構時のCiscoの授業が延びに延びたり、T茂先生のプリンタをセットアップしてやったり、帰りの電車でI学科の元D研メンバーが珍しく集合したりってなことしかなかった。そこで、反則とは思いますが、昨日書き忘れたことを。

 昨日、実は成人式でした。招待状も届いてました。一日限定のバス・地下鉄乗り放題カードも届いてました。でも成人式には出席しなかった。だってアニメの消化やアニメージュの消化で忙しかったし、どうせ行っても沖縄の酒盛り騒動みたいになったりで良い気がしないと思ったから。今年の仙台の成人式は、式が20分、会が20分の2部構成で、後半の成人会ではマジックショーがあるとか。それでも行く気にはならんかった。一生に一度のイベントなんだけどな。冠婚葬祭の“冠”に相当するくらい重要なんだけどな。

 それにしても今日日の20歳はなってないな。ま、私が言える立場かどうかは解らんがね。でも“ごみは自分で片付ける”ってのは常識中の常識ではなかろうか。とか言いつつも、個人的にはクラッカー鳴らしたり罵声浴びさせたりといったエンターテイメント性は欲しかったな。…何だか矛盾。ちなみに、ここで言う“クラッカー”は、ネットワーク経由でデータを改竄する奴のことでもなければ、米国のブッシュさんが喉に詰まらせて気絶したお菓子でもないからな。



2002年1月14日 (月) - 日記改装

 日記のページを改装した。過去の分のlzh形式の圧縮ファイルを展開し、直接見られるようにしたり、その他にも外からは解らないような小細工をいろいろかました。プログラムで言うところの、入力と出力は変えてなくても、内部の変数名や関数構造などを変えた感じ。こんなのにかれこれ5時間くらいかけたっつーんだから馬鹿者だな。

 デジモンタイピング、quatre氏に4点差まで迫られた。これは抜かされるのも時間の問題。ま、私は抜かされるまでやる気起きないけどな。でも学校ある日はこれに費やせる時間が無いしな。だって平日は、帰宅→夕食→日記→風呂→就寝だもんな。



2002年1月13日 (日) - quatre氏

 昨晩は帰りが遅く、眠かったので書かなかったが、うちのBBSに、デジモンタイピングでお馴染みのquatre氏のカキコがあった。顔の知らない人からの初カキコ。これが知り合いの悪戯だったら凹むな。でもそうでないことを願っております。

 こちらからもあっちの所在を探ったりしました。GooやGoogleやYahooで“quatre”をキーに検索。しかし絞り込めない。“quatre タイピング”とか“quatre デジモン”だと期待とちょっと違う感じのページがヒット。結局それらしい所は見つけられませんでした。しかし、今まで謎だった“quatre”の読みが解った気がします。“カトル”か“キャトル”と読むフランス語らしいです。そう言われりゃそんな風にも読めるなって感じです。

 せりあ@もこもこ氏に関しても検索かけました。しかしこちらも、どうしてもそれらしいモノが見つかりませんでした。その代わり、日記サイトで有名らしい“せりあ由紀”という人のページがやたら見つかりました。ヴェオルブ氏の場合は、デジモンカードの方面で活躍なさっているようです。ま、同姓同名というオチが待っているかもしれませんがね。電卓やるかのぉ〜氏に関してはデータが見つかりませんでした。きっとデジモンタイピング用に適当に付けた名前なのでしょう。



2002年1月12日 (土) - 研究室メンバーで食事会

 今日は研究室のメンバーで食事会。場所はT茂先生宅。17時10分にA子駅集合とのことだったが、S台駅前のK久屋書店でお買い物をしたかったので、15時発のバスで行くことにした。自宅にあったバスの時刻表のコピーにてバス時刻を選定したのだが、実際にバス停に行くと15時の表示は無かった。ちゃんと土曜日だということを確認してたのに…。渋々ながら他のバス路線と合流する地点まで徒歩。そうすりゃ別路線のバスに遭遇するかもしれない。そう思ってバス停を離れて歩き出した。が、私を追い抜くバスの姿が…。14時50分発予定だったバスの10分遅れたものだった。凹んだ。歩くこと15分。合流地点に着くと、丁度別のバス路線からそれが来たので、それで行くことになった。なんだかんだで駅前でデジモンのサントラCDを買い、購入予定の4冊の本の発売日を見てきた。“2/6、1/17、1/15、1/28”だから…“次郎良いな良い子ニヤ”とか勝手に語呂合わせして覚えた。

 A子駅に着き、OB2人を含めた全10人は3度に分けて先生に車で運ばれた。先生宅ではS君とI子ちゃんがお出迎え。仮面ライダーやウルトラマンの話に花を咲かせつつすき焼きに移行。刺身、チラシ寿司 (イクラ混入)、生卵など、私の食べられないものも多少出たが、大体は普通に食えた。こんなとき好き嫌いがあると不便である。周りのみんなはエタノールを服用。会話は尽きない。自己紹介、面接、恋愛、昔話、旅、ゲーム、心霊、飛行機事故、鬱、進路などなど様々な話が出た。結局22時半頃までしゃべり場状態。

 終電を初体験。電車内では私のHPのURLをプレ卒生に公開するなど、そこでも話は尽きなかった。で、S台駅到着。“○番線の電車の発車時刻”を示す電光掲示板に何も書かれていないものがあるのを見て、ちょっと成長した気がした。T北本線の終電は混んでいた。噂には聞いていたが、土曜の夜ということもあり、朝の通勤ラッシュ並に混んでいた。N町駅に着くも、バスの最終は既に出ているので、待機させていた母の車で帰る。母はちょっと一杯引っ掛けていたので、帰り道は私が運転代行。家に着き、この日記を書いたりまったりで、もう25時。睡眠時間2時間半のコースに決定。



2002年1月11日 (金) - ロスト

 卒研プログラムの改造中、ふとバグを発見した。構造的に複雑な部分にあったので、デバッグするときに関数のコール階層が解ると良いと思い、12月12日に作成した“関数構造ツリー生成プログラム”を立ち上げた。…と思ったら、それは別のプログラム。おっと間違い…で、あのプログラムは…?…げ、無い。そのプログラムは忽然と消えていた。ファイルを整理したときに、誤って一緒に削除してしまったのだろう。鬱だ。ダダこねてても仕方無いから、ブレークポイントとかを使って地道にデバッグしたとさ。

 ほのかな希望を抱いて帰宅。もしかしたら家にデータが残っているかもしれない。…あ!あったよ。皆さん応援ありがとう。そして運命と偶然に感謝。それにしても外の風が煩い。



2002年1月10日 (木) - くじ

 私のアルバイト・新聞配達もかれこれ4年半。新聞配達員には毎年年賀状が届く。裏面には抽選番号というものが書かれており、社の方で勝手にくじ引きをし、当選した新聞配達員に賞品を与えるシステムだ。かといってくじ引き会場に我々が行くことはない。各地区の事務所役員が賞品を受け取り、朝、配達しに来た当選者にそれを手渡すようになっている。

 今朝新聞配達に赴いたら「1等賞おめでとう」と言われて熨斗紙の張り付いた賞品を貰った。どうせ中身は大したことないのにサイズだけは大したことある。嬉しくも何ともなく、ただ新聞配達のための自転車に積むのが大変で面倒だとしか思えなかった。配達が終わり、家に戻ったが、中身は見ずにその辺に放置しといた。家の人には「くじ当たったから勝手にどうぞ」と言って、私は学校に行った。

 学校から帰ってくると「中身はバスタオルだったよ」とのこと。やっぱりそんなもんか。よっぽど乾電池とかポケットティシューとかのほうがマシだと思った。車の運転免許を持っていない人が、1等賞のワゴン車を当ててしまって、2等賞のワイドテレビのほうが良かったと言ってるような気分だ。ところで、去年のくじでも私が1等賞を取ったのだが、新年早々無駄に運を使ってしまっていそうで、かなりついてない気がするんですが。



2002年1月9日 (水) - 大雪×バス遅延×電車乗り換え間に合わず

 昨晩、私が眠りにつく頃はまだ少しの雪すら降っていなかったのに、今朝、新聞配達に出掛けてビックリ。凄い量の雪が降っているし、5cmくらい積もっている。当然配達は大変だった。

 そして登校時。家から徒歩5分のバス停で待つ私。しかし一向に来ない。いつもは3分遅れ、天気の悪い日は5分送れが基本な6時33分発予定のバス。今日は6時51分に来た。18分遅れでようやく乗れた。

 ほどなくして某学校前のバス停に停車。そして運転手の「お待たせしました。N町ターミナル行きです」というアナウンスが車外スピーカから出る。そのとき入口附近にいた私の耳に、乗ってくる客の一言がボソッと聞こえた。「はい、待ちました」と。しかも「N町ターミナル行きです」の部分を遮って、運転手にまで聞こえるかどうかギリギリの音量でそのおばさんは言った。そう言ったおばさんの気持ち、解らんではない。

 N町駅でのバスから電車への乗り換えは、いつも乗れるかどうか微妙な@6時53分のにはもちろん乗れず、いつも余裕で乗っているA7時3分のにも乗れず、稀にバスが10分程遅れたときに乗るB7時13分のにも乗れず、結局はその次のC7時19分のに乗った。@だとS台駅で7時8分のに乗り換えることができ、AとBだと7時24分のに乗り換えることができる。いつもはAのコースで、これだとS台駅の乗換えのときに余裕で角の座席に座れる。今日はCだったので、S台駅は7時39分発。しかも雪のため6分くらい遅れたらしい。それでも学校に普通に間に合ってしまう私。



2002年1月8日 (火) - 母の炒飯

 朝食に炒飯が出た。母の作る炒飯は、毎度のことだが、炒飯じゃない。炒飯と言ったら、ちょっと焦げが付いて粘着力に欠けた米で構成された食物だと私は思う。しかし、母の作る炒飯には焦げが全く無く、味付け用の醤油の所為で、普通に茶碗に盛られるご飯よりも粘着力のある仕様となっている。更に、具が大きく半生なスクランブルエッグがミックスされている。食感は普通のご飯並なくせに、調味のための胡椒が妙に効いている。私の妹も、母のこの料理は美味しくないと言っている。私の母の母、即ち私の祖母が作った炒飯は、ちゃんと規格を満たしていて美味しいのに、なぜこのような…。

 私の卒研のテーマは授業時間割自動編成システムの構築であり、このシステムを2人で分担して構築している。私はインターフェイス部、もう一人のほうのG藤君は授業の自動配置部を担当している。今日、彼のプログラムで処理した結果のファイルを、私のプログラムに取り込んであれこれできるかどうかのテストを行った。うまく行った。感動した。前置き長くてスマソ。



2002年1月7日 (月) - 向上心無し (17/17)

 冬休み最終日。やや暇だ。だったら英語の宿題 (教科書某所和訳) を推敲しろとか、卒研を更に煮詰めろってな感じなんですが、一向にやる気無し。lock氏から貰ったビデオテープの消化もやる気無し。デジモンタイピングも、私が1位になった途端にやる気無し。今日はかなりまた〜りして過ごしました。

 基本的にはWSCゲーム“デジモンテイマーズ ブレイブテイマー”をやり、眠くなってきたらまとめて一気にダウンロードしていた“絶対サポセン黙示録”を読んで目を覚まし、たまにはインターネットを放浪し、やがては寝溜めに入るという駄目人間ぶり。生活にメリハリが無いね。あってほしくない学校もやっぱり必要なんだなぁと感じてしまう今日この頃でした。それにしても、浪人生やプータローは、毎日こんな生活をしてるのかなぁ。



2002年1月6日 (日) - 懐かしい (16/17)

 撮り溜め用ビデオテープの入れ替え期に入ったらしい。今日は3本のテープが入れ替えとなった。それ用のテープを確保しようと、撮り溜めていたつまらないアニメを潰しているのだが、第1話とか最終回とかはキープするようにしている。そんなこんなで今回、4年前にやっていた“夢のクレヨン王国”の部分移行作業をした。このアニメ自体、クレヨンペンとかオキドキハッピーダンスとか香水箱とか懐かしいこと満載だったし、徳光由禾が徳光由香で宍戸留美が櫻田実果子で宮田幸季が宮田始典だったりもした。が、最も懐かしかったのは、途中のCMで“たまごっち”のグッズが出てたことである。

 床屋に行った。眠かった。いつものように、夢と現実の狭間で1時間を過ごしました。髭剃りのとき、蒸しタオルで顔が蒸されるのだが、息苦しくならないようにご丁寧に鼻の部分だけは覆わないでくれる。でも私は年中鼻詰まり。はっきり言って、意味の無い配慮だ。私としては、そんな配慮をしてもらうより、その状態のままトイレに行ったりしないでもらったほうが数倍嬉しい。



2002年1月5日 (土) - 絶好調 (15/17)

 卒研が絶好調なんですけど。かなりやる気満々でゴーゴゴーって感じです。そんなこんなで冬休み中に終わらせようと思っていたところはほぼ終了。冬休みに入る頃からこんな状態だったら良かったのになぁ。

 ようやくWSCソフト“デジモンテイマーズ ブレイブテイマー”の攻略本が手に入った。やっぱりコレクションRPGに攻略本は欠かせないでしょ。この本を買ったとき、暴風警報が出されていたにも関わらず、大きな交差点の歩道橋を渡りました。足元が定まらず、ふらふらと、かなりのスリルを味わえました。



2002年1月4日 (金) - アニメの着ぐるみはいかがなものか (14/17)

 元日と2日に撮ったビデオを見た。カードキャプターさくら、カスミン、だぁ!だぁ!だぁ!の総集編である。CCさくらに関しては、非常に懐かしかった。ところで、CCさくらを“CCS”を略すと、スタイルシートの“css”と間違えそうなのだが、ま、ここではどうでもいい話。次にカスミンとだぁ×3。第1話の主人公の生い立ちがさり気なく似ている。どちらの話でも、主人公の少女の両親がこぞって海外へ行ってしまうしね。

 で、衝撃的だったのはだぁ×3。いきなり着ぐるみかよ。妙に体でかいし、妙に色白だし、妙に動きが異なるし、とにかく嫌だ。アニメに出てくる生命体を着ぐるみ化するなっての。セラムンミュージカルなんかはもはや別物だ。そーいや明日、教育テレビでエスパー魔美が始まるらしいな。実写でな。私は見る気無いっす。

 今日はなぜかやる気満々だったので、卒研やった。わりと進んだようなそうでないような。一応私の研究を引き継ぐ予定のプレ卒生に宿題を出した以上、タテマエとして自分はサボれない。ところで冬休み突入前、連携して研究しているG藤A月君が、「データ、メールで送っとくから、そっちのプログラムで読めるかどうかチェックして」と言っていたのに、一向にメールが来ないのですが、どーなってるのでしょうか。彼のHPの日記も更新されてないようですし、もしかして彼の家のネット環境が死んでるのでしょうか。



2002年1月3日 (木) - 里帰り最終日 (13/17)

 朝、習慣って恐いね。普通に3時半に目が覚めてしまう。しかも2日連続で。寒いし、周りのみんなはぐっすりだから静かにせんとあかんので、結局はまた眠りに入ったが、いやはや凄いな。

 今日はやっと帰宅の日。11時半から車でまったりと。が、東北自動車道は泉-古川間で通行止め、国道4号線下りは大渋滞。途中で昼飯やら何やらで、家に着いたのは18時。ま、今年は過去最高額45000円のお年玉を貰ったから多めに見てやろう。それにしても、そろそろお年玉を頂くのに抵抗が。だってもう華の20歳、もうオッサンやから…。

 家に着いてホッとしたことがあった。それはビデオの録画がちゃんとされていたこと。とは言っても、「ちゃんと予約したかなぁ」という不安があったというわけではない。「ビデオデッキのコンセント、抜かれてないよなぁ」という不安があったのだ。うちの爺さんには前科がある。それは、「 (里帰りに行ってから) 何だか (ビデオデッキが) 動いているようだったから、(電源を) 切り忘れたのかと思って、コンセント抜いた」ということだ。それを聞いたとき、私ゃ耳を疑ったよ。ま、今回はちゃんと撮れていたようだったからいいや。

 家に着いてちょっと嬉しかったことがあった。それは私に年賀状が届いていたということ。私は今年も“来たら返す作戦”を実行していた。元旦には年賀状も年賀メールも来てなかった。ちょっぴり寂しかった。でも今日、届いていた。ちょっぴり嬉しかった。録画予約していたやつを見たり、3日分の日記を書いたりしてから、じっくりと返事を書こう。年賀状の表にも裏にも差出人の名前が無かったが、住所だけはあった。この住所だと、きっとS木Y徳に違いない。



2002年1月2日 (水) - 里帰り2日目 (12/17)

 実家じゃやること無いだろうから卒研をやろうと思っていたのだが、やる気まで無くなったので終了。と、今日は昨年度末に亡くなった私の4親等の親戚の“二十七日”というものに当たるらしく、その家まで行ってお線香を。それにしても、祖母の洗練された東北訛りには感服した。標準語では“にじゅうしちにちだから”のところを、祖母は“ぬぢうすづぬづだがら”と言った。翻訳にやや時間を要した。

 てっきり線香だけあげて直ぐ帰ってくるものと思いきや、すっかり和みムード。午前10時半頃に行ったのに、結局は昼食まで頂く始末。大人達…というか爺さん婆さんらは、手持ち無沙汰の我々の機嫌をとろうと、コタツの上のお菓子をやみくもに渡してくる。私は内心、「早く帰らせてくれ」と唱え続けていた。爺さん婆さんらは、何か談笑していたが、何しろ生粋の東北弁なので、3割くらいしか理解できない。まるで欧米人が英語でベラベラ喋っているのをただひたすら聞いている感じだ。しんどい (大変だった) 。がおった (くたびれた) 。プレゼンテーション層は重要です。

 もう何というか、実家の室内温度が爺さん婆さん用に設定されているので、私にとってはしこたま暑い。電気カーペットにコタツに電気ストーブ。それを6畳間12人のその部屋でガンガンと。助けてくれ。お陰で冷え性の私の両手でさえ熱くなっとる。



2002年1月1日 (火) - 里帰り初日 (11/17)

 午後、里帰り開始。東北自動車道を北上し、古川へ。私の実家は、古川と築館の間に位置する小さな町にあり、PHSの電波は届かない。これから数日間、インターネットができないかと思うと、結構不便というか何と言うか…。

 そんなことを考えつつの車内で、私が「PHSが使えないからなぁ」とぼやいていると、運転中の母が「あれ? ノートパソコンのインターネットで繋がらないの?」という不可解な発言が。きっと「ノートパソコンでインターネットするときにいつも使っているAirH"は使えないのか?」と言いたいらしい。私は一通り爆笑した後、「AirH"も形は違えどPHSの一種だから無理」と答えた。

 実家に着いた。まったりした。が、従兄弟家族も里帰りらしく、8畳間に12人という有様。おじじ様用の馬鹿でかい椅子 (ホントはマッサージ機なのだが) と、部屋のサイズに適さないほど巨大なワイドフラットテレビ (横幅推定1.5m) と、大きなコタツとその他の箪笥など、いろいろなものが置かれた8畳間に12人という有様。私はその部屋で、5時間くらい立ちっぱになっとりました。根性だ根性。